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2009-12-15

五家七宗の開祖

◆潙仰宗

潙山霊祐(771―853)は、唐代の禅僧。 俗姓は趙氏、福州長渓(福建省)の出身。

潙山(湖南省)に住して、多数の門弟を訓育した。

弟子の中に仰山慧寂があり、彼らの門流を、後世「潙仰宗」と称した。

仰山慧寂(804―890)は、唐代の禅僧。 俗姓は葉氏、韶州須昌(広東省韶関市)の人。

潙山霊祐に出会い、15年前後の間、霊祐に師事した。

後に、仰山(江西省宜春市南方)に住したので、その名となった。


◆臨済宗

臨済義玄(?―867)は唐の禅僧で、臨済宗の開祖。

曹州南華県(山東省)出身で俗姓は邢氏。

黄檗希運に師事し、いわゆる黄檗三打の機縁で大悟した。

その後真定府(河北省)の臨済院に住み、興化存奬を初めとする多くの弟子を育て、

北地に一大教線を張り、その門流は後に臨済宗と呼ばれるようになった。

その家風は「喝」(怒鳴ること)を多用する峻烈な禅風であり、

徳山の「棒」とならび称され、その激しさから「臨済将軍」とも喩えられた。

◇臨済宗―楊岐派

楊岐方会(992―1049)北宋の禅僧で、俗姓は冷氏。筠州(江西省)の人。

臨済宗杨岐派の開祖。

石霜楚圆の法嗣であり、袁州杨岐山(江西省)普明禅院に住した。

白雲守端の門下に五祖法演が出て、その門弟より、

圜悟克勤、仏鑑慧懃、仏眼清遠という、「三仏」と称される禅匠が現われた。

南宋になっても、その勢いはとどまらず、克勤の門弟子、

大慧宗杲は多数の門弟を集め、大慧派を形成した。

その他、虎丘紹隆の虎丘派、虚堂智愚を出した松源派、

無準師範を出した破庵派なども活躍した。

中国から日本に伝わる臨済禅の宗派に21の流れがあり、

その中の20の宗派はこの臨済宗杨岐派に属している。

◇臨済宗―黄竜派

黄龍慧南(1002―1069)北宋の禅僧で、俗姓は章氏。信州玉山(江西省)の人。

臨済宗黄龍派の開祖。

石霜楚圆の法嗣であり、修水義寧黄龍山(江西省)に住した。

宋代の中期以降に、慧南の系統が勢力を伸長し、楊岐派と共に、

五家と肩を並べるまでになった。

慧南の門下から晦堂祖心、東林常聡、真浄克文が輩出し、祖心の弟子の死心悟新、

霊源惟清が、克文の下からは兜率従悦、覚範慧洪らが出て活躍し、

当初は、より盛んであった楊岐派よりも優勢になった。

明庵栄西により、始めて中国からを伝えた臨済禅はこの黄龍派の禅である。


◆雲門宗

雲門文偃 (864―949)は唐末の禅僧で、雲門宗の開祖。

嘉興(浙江省)出身で俗姓を張という。睦州道蹤の元で大悟した。

その後、雪峰義存に師事し、雲門山を開いてその開山となり、

「雲門天子」と称された宗風を大いに振う。


◆曹洞宗

洞山良价(807―869)唐代の禅僧で、俗姓は兪(ゆ)氏。会稽(浙江省)の人。

幼時に出家し、のち雲巌曇晟に参じ、渡河のおり、水面に自分の影の写るを見て

大悟し、その法を嗣(つ)いだ。

その後、洞山(江西省)に入って普利院を開いた。

門下に雲居道膺、曹山本寂などがいる。

曹洞宗の名称は、曹山と洞山の連称からおこるとされている。

曹山本寂(840―901)唐代の禅僧で、俗姓は黄氏。泉州甫田県(福建省)の人。

洞山良价禅師の法嗣であり、洞山を辞してからは、請いを受けて、

撫州(江西省)の曹山に住して宗風を挙揚し、法席には学人が雲集した。


◆法眼宗

法眼文益(885―958)五代の禅僧で、俗姓は魯氏。余杭(浙江省)の人。

法眼宗の開祖。地蔵桂琛の法嗣であり、江蘇省清涼寺に住した。

常に千人を超える修行者が四方から集まった。

文筆を好み、多くの著作を残した。


参考文献:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
禅. from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A6%85&oldid=29224706.

日本大百科全書(小学館)

瑞雲院(福井県小浜市にある臨済宗南禅寺派)法話のページ 「伝灯録の世界」

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